THIS IS INDIA


ネパールとの国境の町であるスノウリにて、ボーダーを歩いて超えた瞬間に「何か」が違うのがすぐにわかった。



そう、それは少年時代を過ごした町並みや建物に、十数年ぶりに足を踏み入れたときのような感覚に近いのだろうか。


「ああ、この感じだよ、この感じ」という感覚。




視界に入ってくるヒト・モノが明らかに増えたかと思うと、そこら中からこう、「むわっ」としたあの感覚が漂っている。



あからさまな、雑然と混沌。




「THIS IS INDIA」



2ルピーのチャイをすすり、国境から続く街道を眺めながら、おれは無意識のうちにそう呟いていた。
それはこの旅の序盤のカルカッタにて、タイからのフライトの後空港からサダル・ストリートの安宿街に向かうタクシーの中、車窓から目に飛び込んできた景色を受けて、タクシー・シェアをしたカナダ人の夫人に思わず叫んでしまった言葉と全く同じだった。



そう、これこそインドなのだ。



それは容赦なく人々を包み込み、1つの流れを織り成している。
おれ自身も例外なく、その流れに包まれ、インドの一部になってしまうのだ。




ああ、帰ってきたんだな。





このように、インドへの再入国をおれはいささか過剰な感動をもって迎えた。
というか、今冷静に考えてみると、ちょっと感傷に浸りすぎて、自分を見失っていた感がある。
そんな足下のおぼつかない旅行者に、インドは容赦なくその牙をむくのである。




「さて、インドへ入ったことだしバナーラスへのバスに乗らなきゃいかんな」



夢現のインド妄想から、現実に対処すべき問題へと脳を切り替えるおれ。
さぁさぁバスだよバス・・・。



・・・どのバスに乗りゃええんだろうか。




そう、インドのバスは「○○行きはこちらです」とか、「××御一行様」のような丁寧な案内などあるわけがないのだ。
そこにはひたすら、背格好の同じようなバスが何台か並んでいるのみ。
手持ちのチケットには「17:30 スノウリ発  バナーラス着」としか書いていない。


よし・・・こうなったら「そのへんのおっさんに聞く大作戦」か・・・。


おれは覚悟を決めた。
多くの国で有効なこの技は、インドだけが例外であるとして大きく知られている。
なぜなら、インド人は誇り高く、且つ温情溢れる人々であるので、道ゆく旅人に「○○はどこですか」と聞かれて「知らない」「わからない」などの白痴な、それでいて薄情なことは決して言えはしないのだ。


そう、彼らは例え全く聞いたことのない地名だろうと何だろうと、道を聞かれたらバッチリと指をさし、「あっちだ」と教えてくれるのである。それが本当かどうかは別として。


インド人としてはそれで面子が守れて良いかもしれないが、旅行者としてはそれは死活問題である。

インド人に「あっちだ」と指差された方向へ、ひたすら重いバック・パックを背負って歩きに歩き、異変に気づき再びインド人に道を聞くと全くの逆方向を指をさして「あっちだ」と言うことがかなりの確率で怒り得るのだ。というか、実際に何度もあった。


そんなわけで、インド人に道を尋ねる場合、「5人聞いて3人以上が指差した方向へ行く」という鉄則が成り立つのである。


今回もおれはそれを実践した。
そのへんのおっさんに次々と「バナーラス行きのバスはどっちだ」と聞きまくったのである。



「南へ500m行ったところだ」

「南方へ3キロだ」

「(すぐそこ(南方向)を指差し、)あれだ」

「南へ歩いて100mだ」


すごい勢いで距離こそバラバラなものの、とりあえず「南」らしい。
そうとわかれば南に向かうのみ。
南方目指して歩いていると、早速声がかかる。


「ニホンジーン、ドコイキマスカー」


奴等がやってきたやがった。
旅行者の宿敵、客引きの連中である。
だいたいがコミッションの入る胡散臭い旅行社へ通じているので、いつもは完全無視をキメこんでいるのだが、今回おれは態度を軟化させてしまった。


ネパールの人の良さに慣れてしまったことと、バスの場所がわからない不安とで正常心を失っていたのかもしれない。



チケットを客引きに見せ、「このバスどこ?」と尋ねるおれ。


「こっちこっちね」


案内された場所は思いっきり旅行会社。
うーむ、胡散臭い。


しかしちょっとのやり取りの後、バスへと案内される。


「お、もしかしてこれなのか」


まわりのインド人のおっさんに聞いたところ、バナーラス行きのバスに間違いないようだ。
ほっと一安心。
出発までのひとときを、席に座って静かに過ごす。


しかし1つだけ不安が残る。


果たしておれの持ってるチケットはこのバスで有効なのだろうか。


これもまた、バスの乗客のおっさんに見せたところ、「問題ないんじゃない」的な返答。
大丈夫なんだろうか。


そしていよいよ出発の時間である17時半。
バスが走り出す。



「やっぱりこのバスでよかったんだ」



そう胸をなで下ろすおれ。


しかし次の瞬間一気に事態は急変。


走り始めたバスにさっきの客引きと旅行社の連中が乗り込んできて、大声でこう喚きだした。


「このバスは急行だ 今すぐEPRESS CHAGEの350ルピー払え」



なに?アホかこいつらわ。


「おれはもうチケット代は払ってる!そんなことは知らん!!」


と言い返すと、奴等はこう嘯く。


「払わないなら、バスを降りろ」



何コラ、タココラ




「ほらこれを見ろ、チケットだコラ おれはネパールで1000ルピーだしてこれを買ったんだぞオラ」


「だからそれとは別に金がかかるんだっての、わかってんのかお前」


「チケット代に含まれてるんだろそういうのオラ どうなんだコラ」



「ガタガタ言わずに、払うか、降りるか2つに1つだ」



「何だとてめえこの○×△□・・・」



「ふん、お前の英語力じゃ何言ってんのかわからんぞ」


カチーン


この野郎なめやがって ディス イズ ア ペン





だんだんと冷静さを失っていったおれは、「金なんか払うくらいなら降りるわこんなバス」という状態へ。
そこへ奴等は「あ、そう このバスが今日の最終ですけど」と追い討ちをかける。


んがーーー もう知らん。おれは降りる。


荷物を持っておれはバスの出口へと向かう。
そこへ、急展開。



騒ぎを聞きつけたのか、急に爽やかなインド青年が颯爽とバスに乗り込んできて、「エクスキューズ・ミー 日本人よ、一体どうしたのだ」と声をかけてきた。


「おお、き、来てくれたのですね」


インドでは旅行中に、こういうトラブルに見舞われることはよくある。というか、しょっちゅうある。
そして焦った旅行者は相手のペースに巻き込まれて、ついついお金を払ってしまったりするものだ。
しかし、それが雑踏の中であれば必ず、見ている他のインド人が声をかけてくる。
「一体何が起こったのだ」と。
これは日本のような見てみぬふり社会では考えられない、インドが最も誇るべきところだと思う。
決して他人を放って置くことのない彼ら。
目に入ったいさかい事は、積極的に参加し自分の意見を述べるのである。


おれはこのようなインド人の文化に、何度か救われたことがある。
今回もそうだった。



「こっ、こいつらがおれチケット持ってるのにエクストラ・マネーを要求するんだ」


「いや、そんなことはない このバスは172ルピーのチケットだけで乗れるはずだ 172ルピー払いなさい」


「いやでももうチケット持って・・・」


「君が持ってるチケットはこのバスのものじゃないよ このバスに乗りたければ、172ルピー払うしかないんだ わかったかい」



「そ、そうか・・・」



うーむ、どうしよう。
と考えていると、いつのまにか旅行者の奴等の姿が消えている。
正義の味方の登場に、悪党どもは逃げ出したようだ。


「どっちにしろ、本来乗るべきだったバスももう出発してる時刻だし、しょうがない 172ルピー払おう」



おれは車掌に金を渡す。


ふと気が付いて、周りを見渡したときにはもう、あのインド青年の姿は無かった。




れ、礼すら受けずに去るとは・・・かっこ良すぎや・・・惚れたで・・・



一連の騒ぎに乗客の注目はおれ一身に集まっている。



席についた瞬間に周りのインド人から質問攻めである。



「一体何が起きたんだ」


「そうか災難だったな」


「あんなFUCKIN' SHIT MENのことなんか気にすんな」


「今回みたいなことで、インドを嫌いにならないでくれよ」


「そもそもなんで一人で旅をしてるんだ」


「彼女はいるのか」

・・・以下略。



つくづく、人をほっとけない奴らなのである。インド人とは。



しかし結局持ってるチケットと別のバス乗って無駄銭払わされたなー。
まだまだです。



いやはや、今回のことで、インドの恐ろしさと素晴らしさを再認識した次第である。
そして、警戒心を再び抱くと同時に、また1つ、インドを好きになったような気がした。






インド、それは本当に不思議な国。


あらゆる酷い出来事があからさまに起こり、それと同時にあらゆる優しさが満ち満ちているのである。